2007年8月1日水曜日

なに、なに?


「子どもの目線に立って」
よく言われる言葉ですが、意外と実行できていません。
これは気持ちの問題ではありません。
物理的な、実際の、高さや距離の問題です。

助産婦なりたてのほやほや、新米、ペーペーの私が、
初めて婦長にほめられたのは、その一点でした。
いつも患者さんと目の高さを合わせている…と。
頭上高いところから人に物を言うのが苦手で、
ベッドサイドにしゃがみこんで話をしていたのです。
どちらかといえば、自分のほうが下。

子どもの目の高さに自分の目を置いてみましょう。
世界が違ったものになります。
ねんねの子の横に寝てみる。
うつぶせで首を上げはじめた子の横でうつぶせになってみる。
おすわりの子の横に座ってみる。
道ばたにしゃがみこんだ子の横にしゃがんでみる。
上を指差す子を抱きあげ目の高さを合わせて何を指差したか探してみる。

同じものを見なければコミュニケーションは成り立ちません。
同じものを見ているようでも、それぞれ別の部分を見ているのです。
だから同じものを見なければ、違ってたね~ということもできないのです。
どちらかの独断になってしまいます。
当然、大きい方、言葉を使う方、ごまかす力を持った方の勝利に終わります。
知らず知らずのうちに力で押さえつけることになっているかも。

信号待ちの母親と3歳ぐらいの男の子。
母親が、独り言なのか、子どもに言っているのか「長い信号やなぁ~。」
しばらくして、子どもが「ほら~」と何かを指差します。
それに気付いた母親は、「長い信号やなぁ~。」と一言。
信号を指差していると思ったんですね。
子どもの目線を追えば、そこに止まったバスを指差していることは
すぐにわかるのに……。
男の子は何も言わず、バスだけを見つめていました。
ひとつシャボン玉がはじけた感覚を抱くのは私だけでしょうか?

「ほんまや、○○やなぁ。」とか「○○が見えるなぁ。」とか
「すごいなぁ。」「あついなぁ。」「おいしそうやなぁ。」「うれしいなぁ。」とか
同じものを見て、何かを感じて、時には違っていることを確認して、
子どもとの時間を過ごしてみませんか?